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福島鉄平先生がやっぱり大好きです!

2011.02.06 *Sun
ご無沙汰しております。
しばらく放置しておりましたが、鉄平先生復活なので顔出してみました。

明日中には感想あげたいです。
すごく良かった。可愛かった。
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本当の地獄はこれ(1600年)からだ!

2010.02.09 *Tue
反則は承知の上ですが、面白かったので。ていうか、かなり本気でお家騒動とか改易転封について研究したい。


大名廃絶録 (文春文庫)大名廃絶録 (文春文庫)
(2007/07)
南條 範夫

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私の認識として、江戸初期の武士と中期以降の武士は全く別の存在くらいな感覚で見てるわけですが、その理由は結局のところ戦のあるなしなわけです。戦国期の武家は戦によって領地を増やすことができて、だから多少行儀が悪くて性格が破綻してても戦さえうまけりゃ出世できたわけです。ところが、幕府が成立すると領地は増えない、今ある領地を守ることが何より大事になっていくわけで、そうなるとお行儀がよくて、人間関係をうまく築ける世渡り上手であることが何よりも重要になっていくわけです。これが江戸中期以降になると、殿さまはそういうめんどくさい政治を家臣に任してしまうわけですが、綱吉くらいまではそういうわけにもいかず、そして領地が増えない分家臣を扱うのが難しく、特に戦国気質の老臣とどうやりあってくるかが殿様稼業の重要課題になってくるわけです。とくに江戸初期は幕府も隙のある大名は容赦なく取り潰したい時期ですから、ほんの些細な失敗も命取りになる。そこら辺を失敗した人たちのエピソードを資料からまとめ上げたのがこの一冊。実際、大名の改易理由は言いがかりに近いものも多く、当時の記録などを見てもその事情が曖昧なままの例も少なくないようです。正直かなり主観の入ったまとめ方をしているのですが、南條先生の語り口がなかなかに面白く、というか「ここまで言うか」という貶しっぷりが逆に面白い。結論としては、「つまるところ、殿様が馬鹿(幕府に付け入る隙を見せた)だったから改易されたんだよねー」という主張はある意味一貫しております。(笑)そんな感じで、くどいの承知で一家ずつピックアップ。


①里見安房守忠義
里見家と言えば八犬伝の舞台にもなった名家。八犬伝の時代背景は室町後期となっておりますから、要するにそのころから続く由緒ある家柄なわけです。関ヶ原で東軍について加増された康勝は十歳の息子を残して逝去。大体、取り潰しにあう大名はあまりに若年のうちに家督を相続してしまったパターンが多いです。隠居した先代が必死にフォローしてる家は大体うまくいきます。例によって世間知らずでまともに教育もされてない若殿はおきまりのような乱行を重ね幕府に目を付けられます。そして、この里見忠義が不運だった点は二つ、幕府の中枢で熾烈な権力争いをしていた大久保忠隣と親戚関係になってしまったこと、そして忠義の乱行が問題になるのが大坂の陣直前だったこと。このため、ほとんど見せしめ同然に取り潰すのに手ごろだった大名家(これが豊臣恩顧だったり、逆に有力譜代だったりすると反発を招くから、ほぼ空気の里見氏に白羽の矢が立った的な)が里見家だったというのが南條先生の結論です。というか、この項は里見家の話をしてるようで、半分以上大久保忠隣と本多正信の政争、それに関連した大久保長安の話なので、なんだかんだで里見家の印象は弱い。里見家は不運だったけど、家康に媚びてなかったんだから仕方ないよね、取り潰されても当然だよね、とやや強引に〆られております。

②松平上総介忠輝
みんな大好き政宗公の娘婿、忠輝。容貌醜く家康に疎まれた忠輝。地味に長生き享年92歳の忠輝。(改易の末、配流になった大名は結構長生きも多いのも面白い)南條先生はこの忠輝をかなり評価していて、「忠輝はお利口さんではなかったけど才気溢れた戦国向けの武将だったかもねー」と書いております。要するに、家康秀忠親子に取って扱いにくい気性を持っていたから取り潰された、という結論。徳川一門で改易された大名も実は少なくないのですが、そのほとんどは時の将軍に才覚で劣らない人物だったため危険視されたという見方が強いようです。そりゃそうですよね、忠輝はうっかり秀忠が死んだら将軍職に就く資格のある(秀忠と忠輝の間の兄弟は早世)人物ですから。これは後述する忠長(家光の弟)もそうなんだけど、いくら危険視してるとは言っても親は子を改易にしないのです。父が死んでから、兄によって取り潰しに遭うわけです。ここら辺のドロドロした兄弟の確執だけは、ずっと戦国気風なのがげに恐ろしきかな。それでも、忠輝が危篤の父に会おうとして妨害されるのは哀しいなあ。というか、忠輝がいろんな作家の創作魂をくすぐるのはよくわかる。それにしても、南條先生は家康の子供たちを秀忠タイプと忠輝タイプ(信康や秀康も含む)の2タイプに分けて、秀忠タイプを「まずは親の光で、一人前の顔が出来た部類であろう。」とか書いちゃってるのがすごい。(笑)でも、実際戦国の真っただ中だったら、秀忠なんてまず跡を継げなかっただろうなあとは思う。でも、あのタイミングではとてもよい跡取りだったのもよくわかる。

③福島左衛門大夫正則
福島正則と言う人は戦国武将で悩筋猪武者の代名詞みたいなもんで、いろんな逸話のオチ担当だったりかませ役にされたりして、まあそういうポジションの人だよなあという印象だったのですが、これを読んですごく印象が変わった。端的に言うと、福島正則は豊臣恩顧の大大名でプライドも高く幕府にも度々盾突いたので難癖付けられて取り潰された幕府の邪魔者排除の最たる例、みたいな感じなんですけども(実は本多vs土井の政争のとばっちり説もあるんだけど)、正則は幕府にまんまと利用されて取り潰されたんじゃなくて、そうなっても構わないから俺は俺の好きなようにやる、みたいな心持だったんじゃないかなあと思うわけです。豊臣恩顧と言えば、黒田浅野蜂須賀あたりがまず思い浮かびますが、彼らは親が秀吉に取り立てて貰ったのを更に守ってうまく徳川で出世したわけです。他の大名もなんだかんだで武家の家に生まれて親の所領を継いでるわけですから、自分の勝手で簡単に家を潰せないみたいなところがあったんだと思う。でも、福島正則は桶屋の息子で自分の槍一本で大名まで出世したわけだから、自分の代で家を潰してもかまわない、みたいな心積もりだったんじゃないだろうか。だから、言い訳もしないし抵抗もしない。最後は潔く切腹。(かと思われる)家臣たちの人望があったのもなんとなくわかる。南條先生は正則は狡智と事大精神に欠けると評しているけども、そういうところこそが福島正則の魅力なんじゃないかなあと思うわけです。でも、加藤清正も長生きしたら正則と同じ末路だったろうという意見はちょっと賛同しかねるけど、それについては後述いたします。

④最上源五郎義俊
ここで取り上げられてる大名は基本的に「幕府の言いがかりも大概だけど取り潰される方も馬鹿だから仕方がない」という結論に落ち着くのですが、最上義俊だけは別。なぜなら、義俊が家督を継いだのが13歳で領地を召し上げられたのが18歳の時、年若い彼にはどうしようもなかったのです。簡単に言うと、先代の家親(ちなみに政宗公の従弟)さらにはその父の義光の頃から、後継者について揉めていたのが発端で家臣団が分裂していたところに、13歳の子供が後を継ぐことになって、家中まとまらず「こんな家に山形藩(上杉と伊達の押さえ)まかせてらんないよね」ということになって改易。義俊の父・家親は実は義光の二男で、彼が家督を継ぐまでに、そして継いだ後も兄と弟が何者かによって暗殺されているわけです。そんなわけですから、義俊ではなく義光の四男に継がせたい家臣団が、幕府に対して「義俊みたいな馬鹿ガキについていくくらいなら、俺たち武士やめます」とか言っちゃったもんだから秀忠もいい加減嫌になったのか「じゃあ、義俊にはとりあえず一万石、大人になったら6万石あげるよ」という判断。でも、結局6万石はうやむやに。たぶん、本多正純問題(後述)で疲れてたんだと思う。今回みたいに家臣団がぎゃーぎゃー揉めると、幕府もなんか投げやりになることが結構あったんじゃないかなあと思います。

⑤本多上野介正純
南條先生曰く「本多一族、悉く、多少とも風変りな人間が揃っていたとも言えよう。」というのが、この功の〆の一文です。本多正純の父の正信といえば、家康の腹心。創作屋なんかでも、大体腹黒い爺さんでまあそういうポジションです。その割に若い頃は一向一揆で家康と対立したとか、結構やんちゃでそういう部分が正純の弟の政重(この人の経歴の意味のわからなさは水野勝成に匹敵する)に受け継がれたようですが。前述の里見家改易が大久保vs本多の政争の連座で、福島家の改易が本多vs土井の政争のとばっちりなどと言われているように、本多正純の領地召し上げは、幕府中枢の権力争いに敗れたためというのが優勢な見方であって、本多親子自身もそうやって政敵を潰したりしてるので、「自業自得」というわけです。これは各藩の家臣団の対立もそうですけども、戦国期は外に敵がいるので内部抗争どころじゃない(それでも内部分裂によるお家騒動もあるにはあるんですが)、江戸に入って体制が固まってくると外に敵がいないので内輪揉めがひどくなる。だから、大名の改易の原因は、家臣団の対立か幕府中枢での勢力争いがほとんどな感じ。そんな感じで本多正純の改易理由ってのもまたよくわからない。「釣天井事件」は明らかにでたらめなんだけど、これが結構信じられてたっていうのは一体いつ流布した説なんだろう? 将軍秀忠のはずが家光になってるっていうレベルの間違いがあるのになあ。

⑥松平三河守忠直
忠輝と忠直と忠長と光永は混乱しやすいので注意! 三河守忠直は家康の次男、結城秀康の嫡男でございます。徳川一門なので、例によって改易理由がでっち上げくさいです。知っての通り、秀忠は家康の三男で、早世した信康はともかくとして兄を一人差し置いて家督を継いだことになるわけです。しかも徳川家臣団としても秀忠よりも秀康を推す声の方が大きかったらしい。そんなこんなで忠直にしてみれば、「本当なら俺が将軍」みたいな気持があったのかもしれません。そして、大阪の陣で真田信繁を討ち取るという功績を上げたにもかかわらず、加増もなしでふてくされる忠直。そのあたりから、将軍家と関係が悪化して、乱行に走ったとか喧嘩して嫁(秀忠の娘)が実家に帰ったとかそういうことが重なって領地召し上げ。秀忠は自分が戦下手なのにコンプレックスがあるのか、武功のある身内がどうも好きではないらしい。しかし、忠直自身はそれをあっさり受け入れ、隠棲してからは失った67万石に未練もなかったよう。改易されてからの方が人生謳歌してる殿さまが案外多かったりするのは、それだけ大名稼業がストレスのたまる生活だったんだろうなあと思わせる。

⑦加藤肥後守忠広
「せいこしょさん」こと加藤清正の長男が加藤忠広。南條先生は加藤清正が早世しなければ福島正則みたいな末路を辿っていただろうと書いてますが、私は案外清正は上手いこと幕府と関係築いて浅野家みたいに残ったんじゃないかなあと思うわけです。確かに親豊臣だし秀頼に慕われてたしという点はあっても、清正は案外器用に幕府に取り入ってる感がある。徳川家との縁談を重ねてるし、名古屋城を始め不審に精を出してるから、その辺うまく立ちまわれるだけの狡智はあったんじゃないだろうか。(ついでに清正と浅野幸長が存命ならば、豊臣家が一大名家として残れるように取り計らったんじゃないかとも思う)そんな感じで清正時代の加藤家の政治力は侮れないものがある分、その改易の理由はよくわからない。忠広が凡庸であったとか、若年で藩主なったから渦中を収めきれなかったとか、後見人だった藤堂高虎が死んだとかそういうことが積み重なってなんだろうけど、決定的な理由がわからない。加藤家が大坂の陣で豊臣方に内通していたという疑惑が湧いたという話もあるのですが、これは後述のもう一個の加藤家にもあるし、福島正則は本当に兵糧送ってたらしいし、毛利家内通騒ぎもあるし、実際大坂の陣でこっそり豊臣方に味方をしていた大名は結構いたようで、で、触れてはいけないパンドラの箱(誤用か)だったようで。光正(光広)の怪文書事件なるものがあったらしく、そこが幕府の付け入る「隙」になったようですが、その真相もよくわからない。ただ、この話はどうも後述の駿河大納言改易にも無関係ではないようなので、光正が何かやらかしたのは間違いないようです。しかし、加藤家改易事件について触れるたびに思うのです。加藤と黒田、なぜ差がついたか。満身、環境の違い……。いや、ホント何で? 私には加藤肥後守忠広よりも黒田筑前守忠之の方が馬鹿殿に思える。黒田騒動も不可解なんですが、やっぱりこの頃豊臣恩顧の一部の藩と駿河大納言に関する何かがあったのだろうか?

⑧駿河大納言忠長
南條先生の家光評は散々なものです。「家光は、講談の世界では、名君と言うことになっているが、一生の行跡を見ても、特に名君の名に値するものは、何も見当たらない。」しかし、その母である於江与(来年の大河の主役の人)に対してはえらく高評価。「美人であったことはもちろんだが、秀忠が一生べた惚れしていたらしいところをみると、相当頭も良かったに違いない。」そうです。そんな母親が原因で、家光忠長の兄弟の仲は険悪、その関係が大人になるに従ってどんどんこじれた結果、秀忠死後に改易。ここまでは、秀忠と忠輝の関係に近いものがあるんですが(病床の父に会えなかったことも含め)、家光の陰湿なところはその後さらに自害を命じているところ。いくら弟が可愛くないからって、何も切腹命令することないと思います。南條先生が家光に辛辣なのは、こういう陰湿さのせいだと思う。忠直自害の報を叔父の忠輝はどんな気持ちで聞いたのでしょうか。そして、こんな兄と上手くやっていった保科正之ってどんだけ人格者だったんでしょうな。それで、忠直改易理由もようわからんのですが、どうにも肥後の加藤家改易と黒田騒動が無関係ではないような気がする。本当に家光と土井利勝が一芝居打って、危険因子の炙り出しをしたとは思えないのですが、駿河大納言と加藤忠広と黒田忠之あたりがなんか企んでた可能性はあるんではないかなあ。

⑨生駒壱岐守高俊
そこそこ有名なお家騒動なわりに記録に乏しい生駒騒動。この本に登場する大名の中では一二を争う馬鹿殿だと思うのですが、後述の加藤明成が自分で騒動起こして改易になってるのに比べて、生駒高俊は家臣団の対立から何から全部放置した挙句遊び呆けていたという点では、最も情けない殿様かもしれません。南條先生曰く「悧巧な大名でなかったことは明白だが、当時の大名にこの程度の男はいくらでもいたであろう。」とのことですが、美少年と乱痴気を起こしてる間に女中同士が斬り合い事件を起こして云々のあたりはもう笑うしかない。高俊は家督を継いだのが11歳だったため、外祖父の藤堂高虎、その死後高次が後見に立っていた上に、岳父が時めく土井利勝。そんな感じいい年になっても藩政は全くの放置。すると、家臣団が真っ二つに割れてやりたい放題。あまりのことに藤堂も土井も匙を投げてしまって、最悪の状況になってやっと幕府が腰を上げて何とか決着、といった感じなのですが、南條先生としては、藤堂介入しすぎじゃね? 豊臣遺臣ばかり処罰されてるのも不自然じゃね? 土井利勝が匙投げるの早すぎじゃね? と疑問を投げかけ公的な記録がほとんど残ってないことも併せ、とにかく胡散臭い騒動だったようです。しかし、後見に立ってた家がその死後ことごとく改易になるあたり、藤堂高虎って罪な人ですよね。

⑩加藤式部少輔明成
ご存じ「地味な方の加藤さん」こと加藤嘉明(南條先生曰く『典型的な三流の戦国大名』←褒め言葉です)の息子の明成。秀吉子飼いの加藤家ですから、そういう面を警戒されてお取り潰しかと思って読んでみると、何のことはない。豊臣恩顧だとか外様だとか関係なしにびっくりするくらいの暗君でした。この本に挙げられてる大名は「改易されても仕方ないくらいに馬鹿」ではあるのですが、「馬鹿だからこそ難癖をつけられた不運な人たち」という感じなのですが、加藤明成だけは100%自業自得。馬鹿殿具合では前述の生駒高俊といい勝負です。(明成がいかに暗君であるかは山田風太郎先生の「柳生忍法帖」を読めばわかるらしい)暗愚な主君が馬鹿な家臣と大喧嘩して、幕府と高野山と東慶寺(よりによって秀頼の娘である奈阿姫が住職)を巻き込んで一騒動、こんな馬鹿に会津40万石は無理ですよねー、という裁定が下ったわけです。そして、この明成そもそもの騒動からして、執念深く頑固で融通の利かない馬鹿殿なわけですが、改易に意地になったのか(嫁が怖かったのか)、息子がいるのにいないと言い張ったものだから、父が必死に戦って手に入れた40万石がパーになったわけです。まあ、後にその息子に所領が与えられるのですが。しかし、こういう面の皮の厚い馬鹿ほど殿様稼業から解き放たれると長生きするもので、享年70歳。そんな感じで、散々明成を貶した南條先生ですが、女性関係が潔癖な点について「ちょっとユーモラスな感じもする。」とほめている(?)に思わず吹き出してしまいました。

⑪堀田上野介正信
この本に取り上げられている大名の大体が大なり小なり「馬鹿」なのに比べて、この人はあまりに異質。ある意味「馬鹿」なんだろうけど、むしろ「電波」。ていうか、ぶっちゃけていうと「気○い」。そもそもが幕政の中枢にいた人でなんですが、当時幕府を牛耳っていた人間(具体的にうと松平信綱)に憤って、勝手に帰城。「領地返上しますから、旗本にでもわけ与えてやってください」などと言う書状まで送っております。要するに、職場の空気が合わず、世間に絶望したために、辞表を叩きつけてやめちゃったわけですね。当時は武士の困窮が問題視され始めた時期のようで、松平定政事件やら由井正雪の乱やらあって、政治についてやたらくそ真面目に考えて社会を憂うような武士が目につくようになる時代らしい。他の大名が何としてでも所領を確保しようと躍起になってるのに、正信は自ら投げだしたわけですから、狂気の沙汰とみられてもおかしくない。その後、配流先で将軍家綱逝去の際に自害。でも、この家綱が殉死禁止令を出してるはずなので、何ていうか基本的に独りよがりな人物だったんだと思う。ていうか、この人の行動ってまさに「めんどくさい三河武士」そのものだと思えば、実は案外正常なのかもしれない。生まれてくる時代が100年くらい遅かった人、なのかもしれない。

⑫松平中将光長
前述に結城秀康の嫡男のさらに嫡男。父は改易になったけれど、母が秀忠の娘だったので北越26万石の殿様としてまったり殿様家業に勤しんでおりました。ところが晩年になって、身内が後継者争いでお家騒動を起こしたため、67になって改易。(しかしその後徳川一門だったのであっさりお家再興されて、享年93歳ですが)事件そのものはよくあるお家騒動なのですが、この事件の何が重要かと言うと、最初にこの騒動に裁定を下したのが酒井忠清(伊達騒動のラスボスのあの人です)。家綱はどうも基本的に忠清をはじめとした幕閣に幕政を投げっぱだったのですが、弟の綱吉はそれがどうにも気に入らない。特にこの酒井忠清が気に入らない。なので、彼の裁定を覆したい気持ちもあって、いったん和議に収まった越後騒動を蒸し返して改易にしてしまったわけです。実際、忠清が賂を受け取ってそちら側に有利な裁定をしたことも確かなようですが、綱吉にしてみれば隠居に追いやった忠清の影響力を一刻も早く薄れさせることが大事だったわけで、それで改易になった光長にとってはとばっちりもあるようなないような……。(だからこそ、改易後の殊遇が寛大だったんだと思いますが)しかも、親戚筋も連座してるし、しょっぱなから綱吉様は大張り切りで飛ばし過ぎだったように思います。

この後、綱吉時代に最も改易が多いのですが、譜代や一門だったせいかどうにも地味な印象があります。それ以前が戦国の残り火を完全に消し去る作業だったのが、これ以後は新たな火種を先に摘んでしまえとばかりに内政の問題。逆に言うとここまで生き延びた外様は、よっぽどのこと(発狂して刃傷沙汰とか)がない限りはしばらく安泰ということだったようです。

そんな感じで激しくネタバレしつつ、かってないボリュームで感想と言うかレビューみたいなものをあげてみましたが、本当に面白くて読み応えがあるので、戦国好き、江戸好き、大名好き、改易好き(笑)の皆様は是読んでみてくださいませ。
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やっぱり忍者っていいですね~

2010.01.23 *Sat
新刊出てたので、読みかけの樅ノ木放置して読了。関係ないけど、最近読みたいなあと思った小説(大体時代物か歴史小説)がことごとく絶版で切ない。何とかしてよ、特に文春。


宵闇迫れば  妻は、くノ一 6 (角川文庫)宵闇迫れば 妻は、くノ一 6 (角川文庫)
(2009/12/25)
風野 真知雄

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今回こそ再会ありかな?と思ったけど、お邪魔が入ってお預け。何となくそんな気がしてたけど、どうやら織江に御庭番の手だれが次々に刺客として放たれるっぽい。せっかくなので、その話といつもの彦馬の謎ときエピソードと絡めてもいいんじゃないかと思うんだけど、次回からは絡んでくるのかな。今回はそういうところもあって、全体的に散漫としてた印象がある。しかも、いよいよ御前が開国にための工作に走るっぽいので、まさかまさかの腕利き忍びの彼とともにどうやって絡んでいくのか、そして、今のところまだ御庭番とも御前の工作とも距離のある彦馬がどうやって話の渦中に入っていくのかというところ。いい加減、主人公の蚊帳の外感につまらなさを感じつつあるので。あと、織江がうっかり自分の手掛かりを残してしまったので、次巻くらいには再会あるのかなあ?

そういや、真知雄先生は耳袋シリーズが文春に移ったんだけど、なんでだろう?
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あんねちゃんたろう(赤マルジャンプ 2010年WINTER)

2010.01.10 *Sun
そんな感じで久しぶりに感想行きますぞ~。キャラ一点突破な感じが読み切りのお手本のようで、でも何となく連載にはつなげにくい作品だなあと思いました。


◆変態お嬢様は突き抜けてて魅力的だけど、いかんせんレベルが高すぎる(笑)
予告カットからしてあほのこ属性かと思ったら、変態ストーカーだったでござる。しかも、お嬢様属性ときたもんだ。鉄平先生のぶっ飛んだヒロインを開拓する精神は素晴らしいと思いますし、うまく魅力を描き切ってると思うのですが、なんていうか趣味がニッチすぎるというかどんどんジャンプからかけ離れた方向に行ってるような、っていうかやりすぎじゃね?(笑)よだれとか枕スーハーするのとか、描き方がどうにも生々しいんだよなあ。結果、露出が低いのに妙にえろいヒロインになってるというか。22pのイキ顔というかアヘ顔はええのかと思ってしまった。(笑)アンネちゃんはギリギリでウザくないというか、積極的な押しかけ女房タイプなようで根っこの部分が奥ゆかしいというか受け身なところが良ヒロイン。鉄平先生は男女の力関係のバランスのとり方がすごくうまいと思います。


◆目の描き方が特徴的になった気がする
瞳孔を反転させたような描き方はレトロ系少女漫画のようで実は最近ちょっと見かける描き方ですよね。目のハイライトをハートにするかき方は上手いと思いました。黒目の部分をハート型にするとどうしてもギャグちっくになってしまうのですが、ハイライトにするとそのまんまシリアスでもいけるというか。あと女の子の体つきのムチムチ度が地味にアップしてる気がする。(笑)頭身低めのデフォルメ絵だから流してしまいそうになりますが、とても中1の女の子の体つきじゃないよ。(笑)それと、ヒロインとその他の女の子をきっちり区別して描いてるのが好印象。正ヒロイン(格)は女性キャラで最も黒目がちでまつ毛ばさばさでなければならない、みたいな暗黙の了解をしっかり守ってる感じ。


◆対して、主人公はひたすらに地味
まあ、これはそういう漫画(ごく普通の男の子が変態ちっくなお嬢様に猛烈アタックされる話)なので、モブすれすれのデザインは正解かもしれない。(でも、鉄平先生はもっと華のある主人公をデザインするようにした方がいいと思うのですが……)女の子が嫌いではないけどなんか避けてしまう思春期の少年心理が妙に実感こもってて、こういう心理描写が鉄平先生の魅力だなあと思って利もします。アンネちゃんがマンガちっくにぶっ飛んでるのに対して、タロウくんはツンデレと形容するのも何かが違うくらいに「あるある」な中学生男子。私くらいの世代になると、こういうキャラ造形が壺にはまるんですけども、小中学生の共感を得られるのかどうかは実際のところはわからんねえ。このくらいの世代って現実的なものを避けたいというか、そういうのに共感するのを避けてしまう傾向にあるから。


◆何よりも「悪役」がいないのが好印象
私はうさぎの後半の失速ぶりの最大の原因はひねりのない創作物にありがちな悪役を作ってしまったことにあると思うので、「魔が差した」レベルの些細な悪意やすれ違いがストーリーの軸になるような話づくりに戻ってくれたのに安心いたしました。同級生の男の子たちはちょっと羨ましいだけなんだよな。抜け駆け禁止、的な。(笑)地味に両親のキャラもよかったし。


ただ、やっぱり「桃園アンネ」というキャラで引っ張ることに重点を置きすぎてる分、ストーリーとしてはひねりが弱いというか個人的には胸キュンラブ成分が足りなくも感じました。これを連載にするのは難しいと思いますが、個性的なキャラがドタバタするようなコメディ路線で連載が読みたい。ジャンプでなくていいから!
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赤マル読みましたよ!

2010.01.09 *Sat
こちらではお久しぶりでございます!

感想は本日中には!!
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プロフィール

歌猫いろは

Author:歌猫いろは
基本ロリコンなオタク女子。
最近の曲はマクロスしか歌えない。
福島鉄平先生の新作(ラブコメを切望)を心待ちにしております。

「サムライうさぎ」で好きなキャラ
とりあえず今はマサツネに夢中です~



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